発端
最近,『映画を早送りで観る人たち』というものを読んだ.少し前この本の一節がTwitterでバズっていた.
大学生の彼らは趣味や娯楽について、手っ取り早く、短時間で、「何かをモノにしたい」「何かのエキスパートになりたい」と思っている。彼らはオタクに”憧れている”のだそうだ。
この一節から,とにかく作品をストーリー概要だけを理解して,周りの話の流れに乗れるようにしたい,というのが彼らの欲望であるのがわかる.しかし,実際ふたを開けてみればわかると思うが,自分ら...と言って私自身を含むのもどうかと思うのだが,別にオタクになりたいと思ってなった訳ではなく,なんか惹かれたとかたまたま見ていたとがが要因で気づけばなっていたパターンばかりだ.かつ,そういうオタクの人たちが話している内容はただストーリー概要の話や,いわゆる「山場」「ストーリー上で大切なシーン」だけの感想話をしているわけではない.(N = 1)
推しという言葉が若者の間で流行ったように,ストーリー概要も含め「推し」の今ここの感情はどうだ,ここの場面はこういう解釈だとかコアな部分について深く議論している.また,ストーリーの部分部分の考察について,多様な文献から多角的視点で語ることもある.だから,ストーリーだけを知っていて,みんなが感動してる場面だけを理解していれば問題はないというのはオタク界隈(?)では「にわか」「ルーキー」といった扱いになる.*1
私はある2人の絵師と、限界オタクの人をフォローしている。その3人は皆各務チヒロ限界オタクで、私も同じくカガチヒオタクなので、日々オタク・妄想・解釈ツイートが流れてきて嬉しい。あとは,セリナだったりアロプラだったり連邦生徒会オタクで,毎日解釈系ツイートしてる人もいる.こういう人は最近の若者からすれば,「何者」であり,「ブルアカのエキスパート」的な存在となる.絵を描いている描いてないなど,創作活動の有無にかかわらず,少なくともオタクであること,物語の深いところを味わっていろいろ議論しあう・話し合えるようになりたいらしい.私自身もそうなりたいと思っていた時もあった.しかし望んで意識してなるものではなく,なんか可愛いから,脳が破壊されたといった理由で謎に考察をして妄想してワイワイ1人でバカ騒ぎして楽しくなる,それだけでいいというTwitter娯楽を送っている.かつ私みたいなヘボが考察や妄想をつぶやいたところで,限界オタクはもうその可能性を考えているため,車輪の再開発となる.ただ,わかっていても自分で考え自分で楽しむという点では,それでいい.SNSに出して人に見てもらうといった点を意識するなら,もう開拓されているなら視聴者・読者としている方がいい.クオリティでの優劣になってしまうからだ.やるなら,「自分の解釈・妄想をやっている人がいない」といったところで開拓すべきである.*2
ブルアカ
ブルアカのメインストーリーはストーリー全体の話の流れ方は日本の2010年代やそれ以前の名作にあったアニメのストーリーを踏襲していることがある.これは偉大なるキム・ヨンハ統括PやYosterの李社長がガンダムやエヴァなど著名から少しマニアックな作品まで網羅しているやばいアニメオタクであったりするためだ.また,ストーリーに散らばる個々の要素は西洋哲学や旧約聖書・新約聖書の説話をオマージュしたり、韓国内での思想・文化・ミームが施され、開発陣の一次資料にあたる努力やキャラクターの解像度・解釈を適切に深く掘り込んでいるために素晴らしいストーリーが出来上がる。
x.comお待たせいたしました。
— アクエリアス♒ (@Aqvarivs294) 2023年4月4日
ブルーアーカイブのあらゆる世界観、象徴、モチーフ等々を纏めようとしてみました。無論、全ての訳ではないです。そんな甚だしい大量なんて不可能でしょう。
1ツイートだけで詳しく説明できないので4枚目で続きをお願いいたします。#キヴォトス世界観解説部 pic.twitter.com/9qKcmtqYZW
オタクというのは,蓄積した経験によって素晴らしい作品を生み出すことができる.すなわち創作者になれる可能性があるし,自分のアイデンティティを確立できる.俺たちはこのような知識的創作をする人間になりたいのだろうか.
そのうちここら辺はもうちょっと深堀して書く.