豊原備忘録

意味わからん学生が書き物します

謎の興味と気狂い

以前私は最近樺太に対して異様な興味がわいているという話をした.それに伴って戦前の樺太に関する資料を読んだりしているのだが,樺太に在留していた日本人の特集を調べてみても少なかった.また,樺太のような日本「だった」土地全体にも興味がわいて,旧満州国だった遼東半島大連市や哈爾濱,斉斉哈爾などに行きたくなっている.意味が分からない.
そういうことで,満州国に在留していた日本人の特番は多かったために調べていった.そういったものを見ているうちに「満州は今どうなっているのか」「戦争遺構や技術産物を見たい」といった感情が湧き出る.加えて樺太満州にいた人はロシア語や中国語を話せる場合があったりする.生活に必要だったからとはいえ,自分もそう話せるようになりたいと思った.
ついにはYoutubeのおすすめ欄に戦争特集の動画がよく出るようになり,それらも見ていくうちに「死生観」「戦争観」「異国人」と言ったものに考え悩まされるようになったと思う.加えて,軍学校や旧制大学・高校を卒業して戦争に参加していた人たちの多くは名門学校を卒業していたり学業優秀だったり,家が太かったりなどだ.*1 そういった血筋がしっかりしている家は公家や偉人の血を引いたりしてる場合もあるし,家元・当主制度を残し苗字も珍しい.千家や東久邇家などがそうだ.調べていくうちに面白い逸話や日本の旧制学校のシステムについて勝手に知識が溜まっていく.こういうものばかりの知識が溜まって思想が偏り,人としてダメな方向に行ってしまうのは当然として良くない.あくまでこういった知識を裏付けをもとに伝えていくのが大事だと思う.大体調べていって,学業優秀だった人は頭脳明晰で人格者でもあった.弊学のSNN先生のようだ.

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*1:当時の家庭経済格差を考えると納得がいく.実際亡くなった私の曾祖母は中卒だったらしい(?)しかし学業はそこそこよく,当時東洋一の砲兵工場の大阪砲兵工場の会計・経理事務員として奈良女子大の学生と一緒に働いていたらしい.風船爆弾を作っている現場も見て,コンニャクイモをくすねたとか.経理事務所の移転で異動したときに空襲が起きて,なんとか死を免れた.友達はみな亡くなり,跡は凄惨だったそうだ.