どうやら3/1は高校の卒業日であるらしく,用があって八木に帰っている最中も郡高や奈高の学生がキラキラしながら帰宅する姿が見えた.俺は高専生だから縁もないし知らなかった...と言えばウソになる.TwitterのFFにも高校生が何人かいて,卒業する~とかのツイートも見ていたので.
Twitterで文化創作人のツイートを見ていると,絵師や物書きの人たちの何人かは高校を卒業したとツイートしている.知っていた人もいれば,そうなんだと衝撃の事実かのように驚くときもあった.マジで,若すぎだろう,自分と一個しか離れていないぞ.と思った.少し心が何とも言えない気持ちになった(これは比較).俺はそれに追いつくためにはあと一年か...と思ったりもした.
知り合いから未踏の稲見先生のツイートを送られた.
僕がたまに学生に話していることの一つが「慌てるな、でも続けよう」
— 稲見昌彦/ INAMI Masahiko (@drinami) 2019年4月23日
身近に各種コンテスト入賞者や国際会議で発表する人がいて、ネットでは世界的に活躍する超人が嫌でもに目に入り、比較したとき自分は何者でもないことに悩み、焦ってしまう。
私がちょくちょく言う「何者かになりたい」といったことへの助言で,誰もわかってくれないと思うが,稲見先生が言うことと全く同じところで私はよく悩まされていた.まあ実際その通りだと思う,含蓄もあるし.周りの人間はそういう人であって,お前が興味の対象に出会ったのならそれにひたすら向き合って,いったんやれるところまでやれということ.比較はしない.勉強にしろ創作にしろ,一朝一夕には何かを生成できるわけじゃないし,それに関する能力は長い時間をかけて積み重ねていくものだから,早くやらなければならないとかは考えなくていい,分野が衰退しない限りは.合氣道をやっていて顧問にもそう言われた.すごい人はただすごい人として受け入れる.
ぼくは初めて持ち込みしたのがヤングジャンプで特にボロクソ言われた経験はないのですが、当時言われてキツかったのは「漫画家を目指してる人はみんな絵が描くのが好きで中学生の頃から毎日絵を描いてるんだよ。岡本くんは違うだろう。だから下手なんだ」と中学生の頃まで遡って説教されたことです。
— 岡本倫 (@okamotolynn) 2023年10月28日
というか,そもそも創作活動をやる人は小中学生の時代からすでに好きか興味があったからで創作を始めている.別に努力しなきゃいけないとか,そういうストレスをかける程の感情を抱いていない.漫画「エルフェンリート」の作者,岡本倫先生もそう言っている.自分含め何者かになりたい人は,Mustであらなければならないとあまりにも真面目過ぎる.お前はそんな創作に人生賭けてんのかってレベルで.俺が知ってる創作者はみんな楽しそうだけど.
インターネットが普及してずいぶんとユーザー年齢層も低くなり,付随するように今まで表に出にくかった「(広い範囲で)無名だった若手創作者」が自己表現のために,他創作者とのコミュニティ形成のためにインターネットに来るようになったので回避しようもなく自分より若い,それか同い年くらいの人を見るようになる.こればかりはインターネットをやめろとしか言いようがない.これに苦しんでいるのは中高生や若い大学生だと思う.俺も高専生だから気持ちがわかる.異常高専生を間近で見て,高専生というくくりで評価され,俺は何者でもないからいい気分でないとかもある.多くの高専生もそう感じている.
ただメリットもあって,稲見先生の言うように先人が舗装した道は歩きやすいし,知識経験が蓄積されていくと見え方も変わる.加えて若い人は自身と物の見方とか考え方・価値観が近いから創作のステップが踏みやすい下地をある程度作ってくれている.後から車で道を走ればすぐ追いつくだろう.大事なのは創作の軌道がうまく乗ることで,創作を味わい楽しいと思えること.他人の創作能力を見て,ショボい物差しで見るよりかは自分の過去振り返ってもっとマシな物差しで自分を評価する方がいいだろう.そして,先人・巨人の方に乗ったり,舗装された道路を爆走したり,あえてゆっくり歩いて見方を変えてみるなどして創作する.普通のアニメ・ゲームオタクも創作せずとも大概その領域だが,どうやら創作の有無にかかわらず「何かに詳しい者になりたい」という若者もいるようだ.何かを語ったり,好きなことに熱中して妄言を垂らしたり,解釈深めたりする姿楽しそうで,コンテンツを単に消費するのではなく味わうという領域に来ているらしいからだ.
まあしかし,そういう若手創作者というのはインターネットのごく一部でブイブイ言わせてるか,もしくはよくバズるが人々の脳にはまだそう名前が刻まれにくいタイプの人間が多い.インターネットの人間のハンドルネームを覚えるのに脳のリソースを割いていては意味がない.第一創作者がなぜ評価されるかと言えば創作能力の問題であるから....生成系AI関連で,イラスト界隈は年齢の若さも売りにしないといけないとか見たけど,実際外を見るとそうでもない感じがする.あくまで「若いのにすごいね」程度,それ以上の評価は創作能力の問題になる.だから創作に熱中しておけば評価は後からついてくる.後人からの評価はどうでもいい.
www.pixivision.net
「あいつは俺より若いのにすごいことしてる...」と思う人はワンチャン自分でもなれそうだという可能性があるから嫉妬してる.俺が勝手に好んでいる作家のカレー沢先生はすでにその道を通っている.
MITに入る前にめちゃくちゃ悩まされた学生へのアドバイスもかなり参考になった.読んだ方がいい.
b.log456.com
某何とか専界隈のいざこざとかツイートにうんざりしていると言ったら,知り合いのgさんという人は「時間がたてばそういうのどうでもよくなるし単なる祭りだと思うようになる」と返してきた.この記事にも書いていることだけど,時間が解決してくれることもあるので気長に待とうということだ.創作も,辛いとは思うが創作を少しずつ続けて時間が経てばいろいろ見方が変わると思う.若さだけで戦っていくと年を取るごとに年齢と能力の比が小さくなってカスく見えることもあるので,どんどん進んでいく自走性も必要となる.これはいつ始めても問題はない.
基本的に子どもの頃に大人にヨシヨシされると人は簡単に壊れるね。中学生でiOSアプリ作った灘高生なんかも、今はパッとしないじゃん。その分野のプロからすれば数時間でできる仕事を「(小中学生のわりに)すごいね」って言うと、大人の顔ばかり見て努力するようになる。これはある種のspoilだと思う
— ふくさん (@fukusanity) 2024年1月5日
インプット・成長速度がやばい例.大学入学からでも問題ないという事例でもある.ただし時間はかなりつぎ込まなければならないが.
就活用のpf作ってるんだけど、結構頑張ってきたのかもしれない... pic.twitter.com/B961vhN5ET
— Spiceメガ (@spice_mega) 2024年3月1日
なんとなく大事な創作へのステップ
- 楽しむ.周りを見て比較しない.比較をしたときお前は弱い
- 焦らない.創作はお前を待ってくれるし後から車で進めばいい
- 創作能力で基本評価されるので年齢は消しカスくらいのステータスにしかならない
- (技術系は)完走させるか最大限できるところまでする
- インプットをする.そして寝かせる
- 周辺の創作環境も整える
...他にも多分あるから書き足していく